祖父の補聴器

金沢のお盆は7月15日です。大叔母のお墓が金沢にあり、子供の頃はよく祖父と一緒にお墓参りにいきました。横安江町のアーケードを抜けると右手に「林やのお茶」、通りをわたると「肉の長谷川亭」。その奥の小さなお寺です。お寺の前の店でキリコを買ってお花と一緒にお供えします。                       

祖父が元気な頃は毎年一緒に行って帰りに名鉄丸越(今は「エムザ」というかっこいい名前になってますが、昔は丸越デパートといいました。 年齢わかっちゃうかも(^^;))のレストランでお子様ランチを食べておもちゃを1つ買ってもらうのがとても楽しみでした。
祖父は小松市丸の内町で金庫製作所を営んでいました。工場の騒音でだんだん耳が遠くなってきたので、私が学生の頃、補聴器をプレゼントしました。 でも、しばらく使ってそのまま茶箪笥にしまいこんでしまいました。「補聴器使わんの?」と聞くと「大事な補聴器やし壊したらいかんから大事にとっておくんや」と言っていました。 当時の私は医学部学生でしたが、補聴器の知識など無く販売店で勧められるものをそのまま購入したので、今にして思えば祖父の聴力にあわなかったのではないかと思います。祖父は家族が話している姿をながめてはいつもニコニコしていました。ときどき祖母が大きな声で会話の内容を祖父の耳元で話すと大きくうなづいて遅れて笑っていました。

診療中、患者様のご家族でご高齢の方の補聴器について相談を受けることがあります。せっかく高い補聴器を買ったのに使っていない、というお話を聞くと 私は祖父のことを思い出します。そして今なら祖父の聴力に見合った補聴器を選ぶことができるのにな、とふと思ったりします。
祖父が亡くなって10年以上経ちます。亡くなるずいぶん前から私は勉強や仕事が忙しく、いつの間にか一緒にお墓参りに行くこともなくなりました。
患者様の補聴器相談のとき、必ずその方が家族と一緒に話をしている姿を想像します。それが、検査と同じくらい大切であることを祖父がおしえてくれたのだと思っています。

 

 

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